・゚・。・゚゚・*:.文緒と正巳の双恋日記・゚・。・゚゚・*:.

★☆主にゲームのプレイ日記、コメント、情報、 たまに同人二次小説を取り上げる日記になる予定です☆★ その他→ブログ主の日記、創作小説、意見主張など

Entries

Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『いずれはさくら雪』

 
 們天丸←龍斗←京梧
 珍しく風の出番がないお話。
 龍斗は們天丸に憧れているのでちょっと苦手、頭が上がらない感じです。
 よくありますよねそういうの(笑)
 京梧はその逆で、目覚めたんだけど相手にされてません。
 あ、BL色強いです! 注意ですね!

 們天丸とのエンディングを見ているとより楽しめます。
 
 それから們天丸の話し方、少しおかしいかもしれません(_ _;)
 気がつかれた方いらっしゃいませたら、ぜひコメントで・・・

 では長くなりました。
 お楽しみくださいませ〜(*´∀`*)ノシ
 











 ――そんなんなっても、わいの隣に誰かいてくれるかなァ?

 なあ、龍斗はん。わい…、一度、京都に帰ろう思うてんのや。

 わいがいなくなったら、寂しいんか?
 
 せやったら―――






 『いずれはさくら雪』


 木々の葉が黄色紅に染まり、美しいと思う間もなく枝から離れていった秋も晩。
 龍泉組(りゅうせんぐみ)と鬼道衆(きどうしゅう)が対から成り合わさって一月ばかりたった。
 

 緋勇龍斗(ひゆうたつと)は双羅山の山中を進んでいた。
 山に住む男、泰山(たいざん)に用があったからだ。
 泰山は山で生活を送っており、ある事情からその性質も動物に近い。
 そんな泰山の気質が好ましく、龍斗は頻繁に山を訪れて顔を合わせていた。
 その日も泰山の調子を窺いに行くところだった。



 那智滝でしばし休息をしてより森の深くに入る。
 
 足元は鮮やかな葉や、こぶりの木の実でにぎやかに溢れていた。
 森の動物たちも冬に備えて盛んに活動しているようだ。
 姿は見えなくとも端をかじられ放置されたどんぐりや、
 木の幹に立てられたさまざまな爪の跡から慌しく冬支度をするその様が想像され、ほほえましい。
 
 ふと龍斗の足が止まった。
 遠くにある一本の木の枝に、何か白いものが鈴なりに実っている。
 葉が落ちて裸同然の木々の中、その一本だけ白い花をつけているようにも見える。
 こぶしに似ているが、それにしては時期はずれである。
 
 不思議に思い、近づく。
 するとその白い花と思えたものは、枝に結わえられた文のひとつひとつであった。
 細枝に、丁寧に結わえられた文には紅色に染められたものもいくつか混じっている。
 
 一体誰がこのような飾りを施したのか、龍斗は首をかしげた。
 
 不意に背後で葉を踏みしめる音がした。
 振り向いてみるとそこにはいつ舞い降りたのか、們天丸(もんてんまる)が立っている。
 高下駄を履いて紅葉のように派手な紗の着物を着ているが、
 それでも着られていないのがさすがだった。

「なんや、龍斗はんか。どうや? なかなか洒落た風趣やろ」 
 
 枯れ木に花を咲かせてみたんやと、可笑しく言う。
 軽やかに木の股に飛び乗り、そのひとつを取って見せた。

「これ……、恋文じゃないか」

 焚きこめられているのは丁子の香りか。

「じゃあこれは"結び文"か?」
「お、なんや、そないな言葉しっとるなんて龍々も隅に置けへんなあ」

 結び文――恋文を花のついた枝などに決まった形に結ぶ風習だ。
 一度、京梧がこれを受け取るのを見たことがある。

「むっちゃ寂しげやって、願かけ代わりに結んでたんや。
 春までよう固く結んで待っとったら見事に花咲きますようにてな」

「へえ、雅だな」龍斗はうっすら笑った。

「……その恋文の宛名が們天丸でなかったらの話だけど」
「いややわ、龍々〜。なんぼわいかて体はひとつしかあらへんもん。
 この文したためた娘はん全員とくっつくのは難儀やで」
「ひどい男だな」
 
 言い捨てて、結び文を実らせた枝の下をくぐり通った。
 們天丸の悪所通いは今に始まったことではないし、とくに咎める理由もない。
 彼は初心ではないし、女にいいように騙されて秘密を口にしてしまうような心配もない。
 なのに們天丸の女遊びの派手さを見ていると龍斗の腹のなかで黒いものが居座って、
 ついきつく当たってしまう。
 
 們天丸が何も返事をしなかったので、龍斗は歩みを進めようとした。
 すると来し方から聞きなれた声が聞こえてきた。 
 まだ変声期を迎えていない、ソプラノだ。
 風祭澳継(かざまつりおきつぐ)だろう。

「なんや〜? ずいぶんこちっさいのが来るで」

 們天丸と並んで立って、澳継が来るのを待った。
 足元をたしかめずに走る澳継は転びそうになりながらやっとふたりのもとへ駆け寄った。

「おい! 親方様から伝言だぜ、たんたんッ」

 息も落ち着かないうちに早口で告げ、膝に手をついて肩で息をした。
 額の下に、うっすらと汗がにじんでいる。

「――変更?」
「ああ。泰山は江戸のほうに出てるから、例の話はまた今度でいいってさ。
 ……なんだよ例の話って」

 自分の知らない話で使いに出されたのが不服なのだろう。
 ぐったりと膝に手をついたままで、顔だけこちらに向け龍斗のことを睨みつけている。
 
 龍斗はしばし何かを考え、澳継に近づいた。
 低いところにあるその耳に口を寄せる。
 よほど内密な話なのかと、澳継はどぎまぎと耳をそばだてた。
 そのため龍斗の顔に浮かぶ黒いものには気がつかなかった。

「……子供には秘密」

 それだけ囁いて龍斗は顔を離した。
 澳継はしばらくしてから、からかわれたのだと気がついてカッとなる。
 だが、その顔をはたいてやろうとして拳を振ったものの、あっさりと手首をつかまれてしまう。
 そのまま両手を頭上でくくられ、体が浮く。
 澳継は焦って自由になる足をばたばたと動かし、キーキーとわめきちらした。
 その様子に、かたわらでやりとりを眺めていた們天丸が笑い声をたてた。

「ほんまに……、龍々はぼんをからかうのが好きやなァ」
「この野郎! ぼんって言うなッ」

 片手で軽々と持ち上げられた状態で、澳継は必死にかみついた。

「童子や言われて腹立てんのはほんまの童子だけやでッ。
 悔しかったらわいよりもっとでかなってみいや」
「ははは、尤(もっと)もだなッ」
「てめェ、龍斗まで!」
 
 們天丸にけなされるのはともかく、龍斗に子供扱いされるのはたまらないというように、
 澳継は動かない顔を懸命に龍斗に向け、ぺっと舌を出した。

「こらっ、はしたないぞ」
「じゃあ離せってんだよ! ぺッぺッ」
「下ろすから、もうやるなって……。まったく」

 們天丸はもうたまらんとばかり腹を抱えて笑い転げた。
 掴まれていた手をさすりながら、澳継は憤怒の形相で們天丸を睨む。
 しかし龍斗にするように蹴飛ばしたりはしなかった。 

「親方様は他に何か言っていた?」

 今日の予定を立て直そうとして、龍斗は聞いた。

「……別になにも」
「そうか。じゃあ前からやろうと思っていたことをやろうかな」 
「え? なんだよそれ」
「なんやおもろいことか?」
「おもしろいよ、とっても」

 龍斗は澳継の顔を見て、にんまりと笑った。 
 その途端澳継はとてつもなく嫌な予感がした。
 以前この顔を見た後、豆腐入りのとてもまずい握り飯を食わされたのだ。
 すばやく身を翻(ひるがえ)して逃げ出そうとした。
 しかしそれを予測していた龍斗に首根っこをつかまれ引き戻されてしまった。

「澳継、話の途中にどこ行くの」
「どこだっていいだろ! 手水だよ!」
「じゃあ、これを読んだら行ってもいいぞ」

 唐突に紙を渡された。
 們天丸がなにやら口を挟もうとしたが、龍斗はそれをひじでついて黙らせた。
 澳継は紙を見つめて動かない。
 紙にはただ一言『ご存知より』と記してあるのみだが、
 澳継は鹿爪顔で唸るばかりで何も言わない。
 
 それで龍斗は心得た。
 澳継の道程を聞いてから気にはなっていたが、
 そううるさく言うことでもないのでいままで黙っていたのだ。
 
 どうやら澳継は字が読めないらしい。
 話す分には問題ないのでここまで放っておいたのだろうが、いま世間の識字率はかなり高い。
 いまのうちに習っておかないと後々面倒だろう、と龍斗は考えた。

「読めないんだな」
「別に必要ねェだろ。それより早く離せよッ」
「駄目だ。読めなかったんだから、このまま江戸の梅月(ばいげつ)邸まで行くよ」
「はあっ?」
「素読と手跡の稽古をしてもらう。
 幸い真那(まな)がそこで面倒を見てもらってるから、頼み込めば澳継も――」
 
 と、ここで、強引に話を進め澳継を引きずったまま歩き出そうとする龍斗を、們天丸が止めた。
 
 いままで大人しく話を聞いていたのがこの男にしては不気味だったのだが、
 今も無理に連れられる澳継をかわいそうだと言って龍斗から開放した。
 們天丸らしからぬ行動に龍斗が怪訝な顔をした。

「まあそうやかましく言わんでもええんちゃうの」

 自分より年長の們天丸になだめられて龍斗は何も言えない。
 しばし口を噤んで「でも」と口を開いた。

「澳継は頭を使うのが嫌いだから、誰かが尻を叩かないといつまでもないがしろになる」
「せやから習い事にはその時その時にええ時期があるんとちゃうの」
「時期?」
「そうや」

 們天丸は戦々恐々としている澳継の背を叩いた。
 反動で澳継がよろめいた。

「わいがええ処知ってるし。そこでもええか?」

 もとより們天丸の押しに弱い龍斗が逆らうはずがない。
 們天丸を先頭に、澳継と龍斗がその後を追った。 




 
 江戸に来るまでは何も口を挟まなかった龍斗だが、
 その足がだんだんと遊里に近づいているのに気付き、
 門を潜ろうという時になってさすがに們天丸を問いただした。

「このぼんも、もうそろそろ男盛りやろ?」

 どこか誇らしそうな様子で、眼帯の位置を確かめながら澳継を見た。
 澳継はさきほどから不貞腐(ふてくさ)れたまま一言も口を利かない。
 自分の意志に関係なくことが進んでいるので面白くないのだろう。

「それは――。いや、こういう事は俺たちが教えなくても……」

 事が事なだけに、口ごもりがちに龍斗が答えた。

「それがあかんのや!」
「……え?」
「これはまだや、あれもまだや言うて甘やかしてるさかい
 ぼんはこんな我が侭に育ってしまったんや。
 せやからここはまず、男としての威厳を持たせてやなあ」
 
 これはまずい、と龍斗は思った。
 弁で們天丸に敵うはずがなかった。
 
 龍斗の心中を見抜いたように們天丸は説き続けた。

「これから里に行くで! ええな」
「們天丸ッ。ちょっと待てって」

 こともなげに言う們天丸を止めようとして、慌ててその裾をつかんだ。
 ところが勢い余ってつんのめり、転びそうになるが――

「龍斗はん、何べん言わせるんや。"們天丸"やなくて"們ちゃん"や」

 風よりも速く、その腕に受け止められた。

「あ、わ、悪い……」

 その服から龍脳か丁子かの匂いがして、龍斗はくらくらした。
 手を引っ込めようとするのに、們天丸がそれを許さない。

「們――」 
「們ちゃん、や。ほれ、言うてみ」

 にこやかに言い添え、促すように顔を寄せる。
 至近距離で顔を合わせてしまって、龍斗はうろたえた。
 
 京でならした伊達男なだけあって、們天丸は龍斗から見てもかなりの男前だ。
 その上ひょうひょうとして世離れしたところも女の目を引くのだろう。
 呼吸を生生と感じられる距離で見つめられることに耐えられなくなり、龍斗はつっと顔をそらした。

「……?」
 
 龍斗の表情が一変したのに們天丸は気がつき、その視線を追った。

「あそこにおるんは蓬莱寺(ほうらいじ)やな」

 視線の先には大小をさげた蓬莱寺京梧がいた。
 表の茶屋を覗き込んでいる。
 龍斗はその背を険しい顔で見つめていた。
 
 慌てふためき動転する龍斗が面白くからかっていたのだが、
 どうやら意識はあちらへ移ってしまったようだ。
 們天丸は気が萎えてしまった。
 見れば一緒に来たはずの風祭もいつの間にか失せている。
 勉強と銘打って来たのが急に馬鹿らしく思えた。

「ほな、わいは先に行っとるで」

 龍斗から身を離し、吉原の門をくぐろうとした。
 が、龍斗が裾を握ったままなのでそれが叶わない。

「龍々、裾を――」

 放してや。そう言おうと握られた手の先を目で追うが――
 黒い髪から漂う匂いばかりを残してその主は手元から離れていった。
 吉原往来を行く蓬莱寺のもとへと腕を振って駆けて行く。
 突然ひとり投げ出されて、們天丸は面食らった。

「なんやの。馬鹿にしとんのかいな」

 門前で待ちぼうけを食らうことほど間抜けな男はいないと息巻く。
 捕まえて一言物申そうと龍斗の後を追った。



 
 們天丸が龍斗の姿を捉えた時、龍斗はすでに蓬莱寺と接触していた。
 ただ、その雰囲気がただならなぬものだった。

 般若のような顔をした龍斗が蓬莱寺のその耳をきつくひねり上げている。  
 普段は見せたことのない龍斗の怒気に驚き、
 們天丸はふたりから数歩離れたところで足を止めて様子をうかがった。
 
 往来にも関わらず、ふたりは辺りに筒抜けの声でなにやら口論をしていた。
 その言端(ことはし)に聞こえた言葉に、們天丸は大層楽しそうに笑んだ。
 
 こりゃあおもろいで――
 
 鼻に皺を寄せ、扇でその口元を隠した。
 先ほどの怨念を込めたゆったりとした動作で身を翻(ひるがえ)す。
 蓬莱寺を叱りつけている龍斗の背にそっと近づき、怒った肩へ手を置いた。

「龍々」

 しかしいち早く反応したのは耳を掴まれ体勢を崩し気味にしていた蓬莱寺だった。
 龍斗の肩越しに們天丸を認め、慌てて体勢を持ち直す。
 視線が左右に揺れているところに動揺が見てとれた。

「ひーちゃん、ちょっと待ってくれよッ」 

 一方の龍斗はいまだ肩に置かれた手にすら気がついていないようだ。
 なにを中断させる理由があるのかと、蓬莱寺を糾弾する。

「だからちょっと待てってッ! 後ろ、後ろ!」 
「後ろがなんだ! ――あッ」
「やっと気いついたん」

 後ろを振りかえった龍斗の目が丸くなった。
 目の前に壁が広がっていた。
 龍斗は驚き圧迫され蓬莱寺の方によろめいたが、
 がっしりと肩を掴まれていたので動いたのは頭だけだった。
 
 額から拳ひとつほど離れた位置に們天丸の唇がある。
 龍斗はその唇を凝視した。
 その上にある彫りの深い瞳が龍斗を見下ろしていた。

「冷たいやんか。これからがええ時やいうのに情人おいて他の男ンとこ行くやなんて」 
「じょ、情人ッ?」

 龍斗が頓狂な声を挙げた。
 今や龍斗の身体は抱かれんばかりに們天丸の胸の中へ収まっている。
 強い力に自由になるのは首から上のみである。
 その権利を駆使して、龍斗は出来る限り們天丸の顔から離れようとした。
 なにやら不穏な空気が們天丸の全身から漂っていた。
 その顔は笑っているが、目の奥で残虐な炎が揺れている気がした。

「そうやろ? ……なんや、念友(ねんゆう)の近い交わしたん忘れてしもたんか」
「念友って――」
「念友だとッ!」

 もはや們天丸の言葉尻を木霊のように繰り返すしかなくなった龍斗に代わって、
 そこまで呆けていた蓬莱寺が声をあらげた。
 言い終えないうちにひったくりのように荒々しく、
 們天丸の胸から龍斗を引き剥がさんと突っ込んでくる。
 しかしその行動を予想していた們天丸に軽々とかわされ地に手をついた。

「わいは覚えとるで〜。あの一本杉の上からふたりで見た焼ける夕日。
 ……むっちゃ綺麗やったなァ」
 
 花のように微笑んだ。
 們天丸は"ふたりで"と殊更強調して語った。
 
 だが龍斗の記憶にそんな思い出はない。
 一本杉がどこかも分からないし、一緒に木に登った記憶すらない。
 
 記憶を辿ることに懸命になって腕から抜け出すことをおろそかにした龍斗の膝に、

「ひーちゃん! どういうことだよ!」

 すがりつくように被りつくように蓬莱寺がしがみついた。
 泣き出す直前の情けない顔をしている。
 
 全身を固められた龍斗の耳にやけにはっきりと、かん高い女の声が聞こえた。
 ふと周りを見渡すと往来を行きかう女が物見だかに集まっていた。
 後ろから們天丸に抱かれ、脚には地に膝をついた男をまとわりつかせている龍斗は
 女たちにどう映っていたのか。
 
 いままで怒りで我を忘れていた状況を思い出し、龍斗は額から首すじまで肌を朱に染めた。
 それを、平生から周りを気にしない蓬莱寺が誤解し叫び出す。

「浮気だ! 浮気だ!」

 寝てる赤子も起こす大声で繰り返す。

「いいから黙れッ」 
「そうやァ。邪魔者は早く去ねや」
「們天丸!」

 火に油をそそぐような発言をする們天丸をねめあげた。
 しかし們天丸はどこ吹く風というようにあっけらかんとしてあろうことかその顔を寄せてきた。
 龍斗は肝をつぶし、ひきつれた悲鳴をあげた。
 無我夢中でその鼻っ柱を押し返す。
 
 その最中も蓬莱寺は叫び続けており、
 頭上で行われている攻防にはまったく気がついていないようだった。
 
 






 女たちも退(ひ)けて蓬莱寺が声を枯らすころには、吉原のぼんぼりに灯りが灯っていた。
 
 龍斗の腹のうちは治まらず、むしゃくしゃとしたまま吉原の一室で寛いでいた。
 その隣には們天丸が並び、その隣には大輪の花のような太夫、お凛が酌をしていた。
 こちらも内掛けを脱いで寛いだ姿だった。

「それは大変でしたねえ」

 們天丸が先ほどの醜態を酒のつまみに話した。
 お凛は袂を押さえて徳利を傾ける。
 ふすまが開いて小さな禿(かむろ)がおずおずと入ってきた。
 心づくしの利いた料理を並べて頭を垂れる。

「でも残念やわ」

 お凛が龍斗へ視線を流した。

「何がです?」
「龍斗って衆道者だったん」

 はすっぱに言って、表情を曇らせた。
 龍斗は盛大に溜息をついた。

「違いますよ。それは京梧が勝手に言っているだけで……」 

 禿を見遣って声を低くした。

「俺自身はそっちの気はありません」
「そやそや。わいもやでッ」 

 們天丸が陽気に合いの手を挟む。
 誰のせいでこうなったのだと、龍斗は們天丸を不満げに見た。
 
 あの後們天丸は強引に龍斗をこの部屋へ連れ、京梧は見えなくなるまでひぃひぃと嘆いていた。
 冷静であればそんな京梧に活を入れて屋敷へ戻っているはずなのに、と
 龍斗は行き場のない苛立ちを抱えた。

「ま、あいつは心から武士やっちゅうことやな」 
「武士? 京梧のどこが?」
「衆道っちゅうのは武士道ではあってしかるべきなんと違ったかな。
 なんやけったいなしきたりやけど」
 
 苦々しく言い合って、們天丸は手を振った。

「『色香に惑わされない恋こそ真(まこと)の恋なり』とはよう言ったもんやな」
「まあ。それじゃあ女には真の恋がないみたいじゃありませんか」
「ちゃうちゃう。武座みたいな野暮天には恋がよう分からんちゅうことや。
 下に振りまわされるのも恋やて、なんでわからんのやろ」
「們天丸はもう少し慎みを覚えた方が良いと思うぞ」

 禿が酌をつごうとするのを辞退して龍斗は言った。

「そうやねえ。們天丸はんは毎日ここに顔出してますから。
 龍斗みたいにとは言いまへんけど、もう少し冷たいお方のほうが女子は燃えるんと違いますか」

 熱のこもった瞳で見つめられて龍斗は恐縮した。
 冷たいんじゃなくて、どうしたら良いのかわからないだけだと言う。
 すると当て馬にされた們天丸がすかざず言質を取ってくる。

「ほな、蓬莱寺にだけ冷たいんも、どうしたら良いか分からんからなんか」 
「違う。あいつは――」 

 途切れた言葉の端を、們天丸が継いだ。

「自分を好いとるくせに他の女を買うてるんが許せないんか」

 張身世をうろつく蓬莱寺を女の眼差しで見つめていた龍斗が思い出されて、
 們天丸は眉をしかめた。

「そんなんどうしようもないやんか。好きや言うてんのに抱かせてもらえんなんて生殺しやで。
 抱かせてやれんなら遊びくらい許してやってもええやろ。
 遊びは男の甲斐性なんやし」
 
 蓬莱寺は好かなかったものの、們天丸は自身の悪所通いを言い訳するつもりで弁護した。
 どうもこの場で自分のみが悪者になりそうな気がしてきたからだったが、
 あながちそれは外れていなかった。
 
 お凛が思い出したように「そういえば」と声を出した。

「蓬莱寺はんも昔はよういらしてましたけど、最近は馴染みの子にも顔を見せてないらしいわ」
「え? でもさっき下で見かけましたよ」
「ええ。さっきみたいに何かの聞き込みで里に来ることはあるんやけど、遊んではいかへんみたい」
「なんやァ。ほなさっきのは龍々の勘違いやいうことやな」
「まさか――。京梧が遊ばないなんて、考えられない」
 
 微塵も信じてはいない顔で龍斗は答えた。
 鼻にもひっかけてもらえない蓬莱寺に多少の同情を込めて們天丸が言った。

「蓬莱寺はんは龍々が思っとる以上に本気なんやろうな。龍々も憎からず思っとるんやろ? 
 せやからあないに怒ったんや。違うか?」

 們天丸は龍斗の気がついていない心を指摘したつもりだった。
 年の甲と言うし、なにより恋愛経験は龍斗より豊富のはずであったから
 助言をしてやろうと思ったのだ。
 
 しかし龍斗は予想に反して素直に頷いた。

「確かに好意を寄せられるのはうれしい」

 足先に置いてあった扇を手先で転がしながら、物憂げに遠くを見た。

「でも、俺には遊びを許容するほどの心の広さもないし、何より心がなびくまで待つ忍耐もない」
「なびくて、蓬莱寺はもう龍々のこと――」
「そうじゃなくて」

 うまく表現できないのがもどかしいのか龍斗は柳眉をしかめていた。

「們天丸はただ待つしかできない女の気持ちを思ったことがあるか?
 文を送って思い人が来るまでひたすら待つなんて、俺にはできない。
 花咲く季節を待って年を経るだけなんて気が狂いそうだ」

 山に縛り付けた結び文のことを言っているのだと、やっと們天丸も合点がいった。
 だがそれが現在の蓬莱寺となんの関わりがあるのだろうか。

「なんや、一体何を待ついうんや」
「なんだろう。……心変わり、かな」
「余計分からんわ」

 們天丸は龍斗から扇を奪って、華麗に舞わせた。
 芸者仕込みの鮮やかなさばきだった。
 






 一刻も過ぎないうちに龍斗と們天丸は部屋から出た。
 龍斗が早く村へ戻ろうと急かしたからだ。
 們天丸にとってはこれからが宵の口であるが
 屋敷にべったりの龍斗と知っていて連れてきたのだから、それも仕様がないと腰をあげた。
 
 里を出てしばらく歩いたところで道の端にくたびれた小屋が建っていた。
 灯りもなく闇の中にぽつりと佇んでいる。
 農具を置いているのだろうか、
 人影もない中でこんなところに連れ込まれたら逃げようがないだろうな、と龍斗は思った。
 
 そのまま荒れた道をふたり並んで歩いてると們天丸が口を開いた。

「さっきのこと、蓬莱寺には謝らんでもええんか」
「……明日謝るよ」

 們天丸が他人事にここまで口を挟むのも珍しいことである。
 道を見つめたまま龍斗はぶっきらぼうに答えた。

「さっきも言うたけど、なんで蓬莱寺にだけそんなに冷たいん?
  ぼんには過保護が過ぎて呆れるくらい構うやんか」
「澳継は特別だから。京梧は――嫌いじゃないけど、はっきりしないと」
「はっきりとって、つまりそういうことなんか?」

 好意を寄せられてうれしいけれども、
 それに応えることはできないから冷たくするのだと龍斗は言った。
 
 どこまでも仲間に誠実な男だと、們天丸は天を仰いだ。
 最後にひとつ龍斗をからかってやろうとしていたのだがそれも無駄に終わりそうである。
 
 背後をすがめて們天丸は足を止めた。


「無駄やで!」


 突然声をあげた。

 龍斗は驚き、何事かと們天丸を振り返る。
 提灯に照らされた明かりの中に、酔っているにしてはやけに真剣な顔をした們天丸がいた。

「們天丸? どうした」

 かすかな灯りでは距離があるとその表情が読めない。
 龍斗は們天丸の顔を覗き込むようにして近づこうとした。
 すると今その瞬間までここにいたはずの們天丸が、すうっと幻影のように消えてしまった。

 提灯の灯りまで共に消えてしまい、残るのは龍斗とひとつの提灯灯りのみだ。

「們天丸ッ?」

 術にかけたのかといぶかしみながら辺りを照らす。
 しかし們天丸の姿は杳(よう)として知れず、山道の中ただひとり龍斗は立ち尽くした。

 敵に化かされているのか、それとも們天丸の酔狂なのか。
 判断しかねるが辺りの気配を探ることは止めなかった。
 あいにく月は下弦で薄く反っており、月明かりに期待はできない。
 
 道に沿う山中からは木の葉の擦れる音が響いていた。
 足元には確かに們天丸が土を踏んだ跡があり、
 それがなければ今夜們天丸と共にいたことは夢のようであった。
 
 足跡をしげしげと観察する龍斗の頭上から突如声が響いた。
 それは們天丸の声であったが、やはり姿は見えない。
 山中から烏が鳴き、飛び立った。 
 声は再び遊郭に寄ってから帰る旨、心配しないようにと告げて聞こえなくなった。
 
 龍斗はキツネにつままれたような面持ちのまましばらく佇んで、それから漸く村へと帰宅した。




 
 翌朝、龍斗は們天丸が文を結びつけた樹を訪れていた。

 冷気が立ち込めており吐く息が白くなった。
 白い花をつけた木は、遠目から見てうつくしい。
 しかしその実を知っている龍斗の目には情念の籠もった徒桜のようにしか見えなくなっていた。
 もしかしたら們天丸がいるのではないかと足を運んでみたのだが、
 昨日の声が告げた通りに女の元へ寄ったのであれば、ここにいるはずがない。
 
 凍るように冷たい指をこすりながら、龍斗は枝を見上げた。

 
 この文はいつまでここで待つのだろうか。
 寂しくはないのだろうか。
 いっそ冷たく散らしてくれればましとは思わないのか。

 
 残り香がいっそう悲しげに香った。
 

 俺には待つことはできない――
 
 
 それはいつか来るべき未来に対しての誓いだった。
 ただその意味を知るのは龍斗と全てを知る天しかいないだろう。
 開花に願をかけた無慈悲で艶やかな青年の姿が目に浮かんだ。

 

 雪と共にさくらが咲いたのは、この二月ほど後のことだった。
  




 了



『地龍の溝渠、天龍の涙』(10)最終章


 (10)

「おいたんたん、本当にこんなところに父さんの墓があるのかよ」
 後日、俺は龍斗とふたりでまで来ていた。
 父さんの始末は龍斗がほとんど終えていて、俺にすることは菩提を弔うことくらいだった。
 正確に言えば、龍斗じゃなくて龍斗の弟たちが勝手に終えていたってことらしいけど、どっちも同じことだ。
 憎み続けた緋勇に最後の尻拭いをまかせることになるなんて、父さんには最大の皮肉だろう。  
 からたちの並んだ道を進んだ。
 そこは江戸市中の共同墓地だった。
 敷地以内には寺もあって、墓はみなこぎれいに手入れされている。
「ここの奥だ」
 風に乗ってどこからか線香の煙が流れてきた。
 盆も過ぎ、花が活けられている墓は少なかった。

 細い道に入り、しばらく歩いたところにあるひとつの墓前で、龍斗は立ち止まった。
 碑銘にははっきりと"風祭家"と記してある。
 墓前にはまだま新しい燃え尽きた線香の燃えかすが山積みになっていて、俺たちより少し前に誰かが訪れたのが知れた。
 花もこぼれるほどに活けてある。
「賑やかだな……。俺たちが買ってきた分が入りきらない」
 龍斗は独り言のように言って、胸に抱えた花の束を墓前にそっと置いた。
 前かがみになったその胸元から、首飾りがこぼれてのぞいた。
 五枚花を彫りこんだ、木製の首飾りだ。
 面打ちの弥勒に頼みこんで仕上げてもらったもので、それは俺が龍斗に贈った、初めての贈り物になった。 
 
 結局、龍斗の紅色の梅飾りは見つからなかったのだ。
 途中で諦めるようなまねはしたくなかったが、川をさらう俺を度々見かけた童子がそれを母親に告げて、そこから屋敷の女中に伝わり桔梗の知ることになった――どういう因果かきっかけになった童子はあの時俺が助けた童子だった。
 そして桔梗は女の勘だか狐の勘だかの鋭さで、それを龍斗にだけ知らせた。
 龍斗はその理由にすぐに思い至ったらしく、すぐさま俺の部屋に飛び込んできた。
 相変わらず物分りのいい顔をして俺を責めることもせず、被害者のくせに『形だけに囚われることはない』と言って慰めたが、俺が代わりの梅飾りを贈った時は顔を赤くしてよろこんでいた。
 本当に分からないやつだ。


 強い風が吹き抜けて、龍斗の置いた花を転がした。
 俺の足元に転がってきたので、墓石に手を突いて花を拾おうとして、俺は気がついた。
 墓石の一部が刻まれていることに。 
 そこは丁度子供の目の位置だ。
 そうか――そういえばあの日も風が強くて、目に砂が入ったりして大変だったなァ。
 幼い俺は退屈しのぎに目につくもの全てをいじくり回して、父さんたちの目の離れた隙にこの石にもいたずらしたんだっけ。
 それが誰の墓なのかも知らず。

「父さんは……、なんで死んだんだ?」  
 俺が家を出る前の父さんは、どこか狂い始めていた。
「気の病か?」
 もしかして自害したのだろうか。
 だが龍斗は静かに首を振った。
 道中に買ってきた徳利を墓前に添えて、
「労咳だそうだ。……以前から具合が芳しくなかったらしい」
 しみじみと言った。
 俺も龍斗に倣って手を合わせる。
 労咳か。
 以前からというのは、俺につらく当たり始めた頃のことか。
 俺の前では病にかかっている様子は少しも見せなかった。
 だから父さんの態度が変わり始めた事に混乱したんだ。
 ――父さんは俺に自分を殺さないと家督は譲らないとまで言った。
 
 耳に通り風が音を鳴らした。 
 龍斗が立ち上がって針葉樹の梢を見上げた。 
「ここは、いい場所だな」
「……ああ」
 昔と変わらない、いい風が吹いている。
 母さんも父さんも、ここでなら幸せな余生を送れているだろう。
 俺も立ち上がって風を感じた。
 懐かしい匂いと、立ち並ぶ龍斗の匂いが混じって俺を安心させた。
 深く息を吸い込んで、道を見据えた。
 
 父さん――  
 俺、父さんとは違う道を行く。
 これからは俺がしっかり歩いて行くから。
 ……緋勇には少し、世話になるかも知れないけど。
 
 懐から懐紙を取り出して墓前に弔った。
 南天の実がぽろりと一粒こぼれおちて土に跳ねる。
 いつかそこからまた根を張り、実をつけるのだろうか。
 
「さて、戻ろうか」
 龍斗が差し出す手を音をたてて払った。
「こども扱いするんじゃねェよッ」
 俺はお前のとなりに立つんだ。
 いつまでも後ろに引かれるこどもじゃない。
「のろのろすんじゃねェぞッ! 先に戻ってるからな!」
 指をつきつける俺の後ろからとても温かい陽光が包んでいた。
 そしていつもより力強く腕をふり、俺は走り出した。



  了


『地龍の溝渠、天龍の涙』(9)

 
 (9)

 ぽってり腫らした目で辺りを見回した。
 今が何日で、何刻なのか、わからない。
 襖は閉じられて真っ暗で、俺を気遣っているのか音も聞こえない。
 髪が頬にこびりついて固まっていた。
 枕にははっきりと水分を含んで濃い色に染まる部分があった。
 声を出そうとして、自分のひどい有様を浮かべて、やめた。
 まず風呂に入ろう。
 それでこの顔をなんとかしないと、人前には出られない。
 風呂支度を整えて、廊下の気配を探ってから廊下へでた。
 外は白くなった月の、なごりばかりの薄明かりに照らされている。
 もうすぐ夜明けなんだろう。
 だとすれば屋敷の飯盛りがもう起きだす頃かもしれない。
 俺は急いで風呂へ向かった。
  
 もちろん水は冷たかった。
 もう十月だ。
 耐えて入れる水の冷たさじゃない。
 服を着たままなんとか頭だけ流して、体は濡れ布巾で拭った。 
 それだけでも気分は随分ましになった。
 さっぱりした顔で部屋へと戻る。
 だるい眠気がまとわりついていたけど、涙でぐっしょりと濡れた枕で眠る気にはなれなかった。
 あまり寝てばかりだと体だって怠ける。
 もて余した体力が行き場所を求めていた。
 山へ行こうと思った。
 けれど何日も顔を見せていないのに、そのまま修練場へ行くのもあまりに不義理だと思って、せめて親方様に挨拶をしてから行くことにした。
 といってもまだ早朝だから、しばらくはすることがない。
 ふだん部屋にいることがないから、部屋で大人しく時間を過ごすすべもない。
 布団を畳んで、身支度を終えてもまだ誰かが起きる気配がしない。 
 ぼんやりと、父さんのことを考えた。
 外聞を気にしないで泣いたおかげで気持ちの上ではすっきりしたものの、どういう顔で皆と顔を挨拶を交わしたらいいか困る。
 龍斗とは特に顔を合わせずらい筈だけど、ここまで俺のことを知っているのは龍斗だけだ。
 そう思って、逆に龍斗にならどんなに惨めな顔を晒しても許される気がした。
 龍斗がここに来ないだろうか。
 そしたら、皆とも顔を合わせやすいのに。
 みっともない声しかでない俺の代わりに何かうまいこと言って、ごまかしてくれそうだ。
 だけど、そう期待しているときほどあいつは現われない。
 結局ひとりでおずおずと居間に顔を出した。
 
 桔梗も九桐も、心配したといっておかずを奮発してくれた。
 でも親方様がそれを「胃によくない」といって止めて、俺の朝飯は改めて作り直された粥(かゆ)のみになった。
 誰も何も聞かなかった。
 いつもどおりの鬼道衆の反応だったけど、俺はどこか寂しかった。
 せめてこの腫れたまぶたを笑ってくれたなら、俺も笑ってなんでもないと言えるのに。
 龍斗ならこんなとき、絶対に俺をからかう。
 でも龍斗は二日ほど前から出かけているらしい。
 会いたいと思っただけに余計寂しく思ってしまうのは、平生が騒がしく世話を焼きたがるあいつの性質のせいだ。
 いつの間にそれに慣れていたんだろう。
 
 双羅山に登る予定を俺は取りやめた。
 他に体力を使う仕事を思いついたからだ。
 
 
 どこからさらえばいいんだろう。
 あの日はかなりの雨が降っていたし、激しかったから、引っかかっているなんて万にひとつもない気がする。
 だけどやらずにはいられなかった。
 次の雨が来る前にやらないと。
 
 首飾りを落とした位置からひたすらに下流にくだった。
 龍斗の梅飾りを探すためだ。
 今になってはなんであんなことをしたのか、わからない。
 あいつの何がそんなに憎かったんだろう。
 もう風祭も緋勇もどうでもいいと思った。
 そのしがらみから離れてみると、あいつはただの男で、憎む理由がどこにもなくなってしまった。
 痛い腹を知られてるから、他のやつらみたいに軽くあしらえはしないけど、気を使わないでいい心地よさがあった。
 親方様や、桔梗にだって感じたことがない安らぎを覚えた。
 秘密を持たないでいいことが、こんなに気を軽くするなんて知らなかった。
 健やかな気持ちで俺はたどり着いた川の底を、さらい続けた。
 どこまでやれば終わりになるのか、可能性が無近いことをどうしてするのか。
 他に任された仕事があったから、できる時間は限られていたけれど、時間のある限り、足をふやかして作業した。 
 
 次の日の夕刻に、龍斗は村に戻った。
 疲れた様子を見せたのは下駄を脱ぐその背中のみで、顔には相変わらずの笑みが張り付いていた。
 いままでは気がつくことのなかった龍斗の表情の変化に気がついたことが俺自身驚きだった。
 それだけ今までの俺には余裕がなかったということだ。
 龍斗は懐から懐紙を取り出した。
「方忌みを避けて歩いた先にあった南天の実だ。南天は"難点"とも言って、担ぎ物らしい。……元気になったな」
 そう言って下まぶたをぷっくりさせる、独特の笑い方をした。
 これはただの面笑いじゃない。
 俺はぎゅっと、懐紙に包まれた南天の実を胸に抱きしめた。
 龍斗は俺の腫れたまぶたを優しくなでて部屋へと促した。
 話があるらしい。
 龍斗は親方様に挨拶を済ませてから俺の部屋を訪れた。
 部屋の敷居をまたぐ龍斗を見て、そういえば昨日、泣きはらした顔で龍斗が来るように願ったのだなと思い返した。
 龍斗は下座について、やけに畏まった様子で床に手を突く。
 突然のことで俺は胡坐(あぐら)をかいたままだった。
「陽と対なす陰の古武術を修めます、風祭家が当主、風祭澳継様にお話が御座います」
 朗々とした声で告げた。
「ここに陽の古武術が当主、緋勇龍斗が申しますは、この先の我らが道程は共に成すべきものだということに御座います」
「は?」
「つまり、俺は陰と陽の術を併せて行こうと思う」
 一部の隙もない、男らしい顔を持ち上げた。
 龍斗の瞳を正面に受けて、俺はたじろいだ。
「今、当主って言ったか? 風祭家って……」  
「はい」
「ああ! もう、その話し方やめろよッ」
 俺は頭をかきむしった。
「どういうことだよッ。俺は父さんから目録ももらっちゃいないし、お前のような家紋も受けついじゃいないぜ」
 龍斗は心得ている様子でうなづいた。
 袂から何かをとりだした。
 文のようだ。  
「ここにあるのは、澳継の父上が生前に残した決意書だ。そしてここにこう書いてある。――風祭家の家督を息子、風祭澳継に譲る、とな」
 父さんの――
 そう聞いた瞬間に龍斗の手からその文をひったくっていた。
 確かにそう書いてある。
 父さんの字かどうかは分からないけど、そこには署名と血判もある。
「いったいどう言うことだ」
 父さんの署名を見つめたまま、龍斗に尋ねた。
「どうしてお前がこれを持ってるんだ? 父さんとどんなつながりがあるんだ?」
「忘れたか? 俺は緋勇龍斗だ」
「知ってる! だから、なんでこの書簡を持ってるかって聞いてるんだ……!」
 声が震えた。
 懐かしい父さんの匂いが移っている気がする。
 同時に血判から、あの忌まわしい血の香りも漂ってきそうで、怖かった。
「……これは言うべきじゃないかもしれないけど……」 
 龍斗は言葉を濁した。
 俺は龍斗の顔をにらみつけた。
 それに促されて、龍斗は続ける。
「旅に出た理由に、確かに澳継を探すことがあった」
 父さんに頼まれたのか。
 龍斗はそうだと答えた。
「お父上は首に目立つ刀傷を負っていた。――詳しい事情は聞かなかった。ただひどく精神を病んでおられて、お前を探してくれと繰り返し頼まれた」
 今のは龍斗なりの気の使い方だろう。
 俺にはそれが嘘だとはっきりわかった。
 龍斗は父さんの首の傷のことを聞いたに違いない。
 父さんが傷の経緯を話さないはずがない。
 父さんは人に頼みごとをするとき、自分の弱みを晒して相手の同情を買うことで潤滑に事を運ばせる人だ。
「澳継が行方知らずだと聞いて暢気に道場を続けるなんてできるわけがない。俺は家督と道場を弟に譲って江戸を出た」 
「……呆れたぜ。なんで俺にそこまでしようと思ったんだよ」
 信じられないものを見る目で、龍斗を見つめた。
 俺と龍斗が顔を会わせたのは、あの日、龍斗に怪我を負わせたあの日のみだ。
 あれ以来、父さんは俺を龍斗に合わせるのを避けた。
 常人なら家督を捨ててまで俺を探しに出ようなんて考えない。
 いくらお人よしといっても、ここまでの馬鹿がいるとは思えない。
 俺の疑わしげな瞳に、龍斗は恥ずかしそうに笑った。
「なんでって、お前がほっとけなかったからだよ」 
「なッ……。信じられるかよッ」
 俺は吐き捨てた。
「信じられないって……、他に理由なんてないぞ」
 龍斗は心外だと言わんばかりに口をへの字に曲げた。
「まあ旅に出た理由はそれだけじゃなくて、もうひとつあった訳だけど……」
「それって、さっき言ってた"併伝"の事か?」
「いや、それは……風祭のお父上がお亡くなりになった際に思ったことだ」 
「じゃあ、目的ってなんだよッ」
 遠まわしな龍斗の物言いに腹が立ってきた。
 さっきから話が転々と飛ぶばかりで、全然筋が通らない。
 ここで龍斗は初めて口ごもった。
「俺を探そうとして旅に出たのも、陰陽を併伝しようってのも分かった。あとお前は何を言いたいんだよ」
「――『言いたいのか』と言われると、照れくさいな。ただ、俺の夢の話なんだ」
「夢ェ?」
「お前は将来に何も描かないのか? ……俺はこの大儀の後には、どこか地方で道場を開きたいんだ。そこで子供に武術を教え、世の中というものを教えたい」
 大儀の後、と言った。
 俺はこの戦いの後のことなんか考えちゃいない。
 ずっとこのまま、村で暮らしていけると思っていた。
 その後、なんて言葉はなかった。
「はあー。そりゃでかい夢だな。まあお前ならなんとかなるよ」 
「……澳継は、どうするんだ?」
「どうするって、この村にいるぜ。他にいく場所もないしな」
 俺はここで親方様たちとずっと暮らしていく。
 いま初めて考えた未来だったけど、悪くない。
 俺はここでひたすら強くなるんだ。 
 桔梗が婆さんになって、九桐が隠居して……。
 龍斗がここに残らないのは多少は寂しかったけど、もともといなかったやつだ。
 また元に戻るくらい、なんでもないだろうと思った。
 龍斗は物言いたげに、俺を見つめた。
 このとき龍斗が確信していた先に、俺は最期まで気がつくことはなかった。
「んで、併伝の話だけどよ……」
 ここで初めて俺に風祭家当主、という自覚が湧いてきた。
 落ち着かないまま「いつ頃の予定なんだ」と聞いた。
「澳継……。これは俺とお前で話し合って決めることで、まだ決まったことじゃないんだ」 
「そうは言っても、今まで何でも緋勇の方が取り仕切ってきたじゃんかよ」
「だからこれからは二人で決めていくんだ」
「あれ……、でも緋勇は今は弟が家長なんじゃないのか?」
 さっき龍斗は『緋勇家当主』っと言った。
 その前には『家督は弟に譲った』とも言っている。
「弟は家督を継いだその翌年に脚気になった」
 龍斗はぽつりと言った。
 脚気は珍しい病気じゃない。
 貧しい家や、奉公先の家でなることが多い病気らしい。
 緋勇家は貧しいようには見えなかったので、何故脚気にかかったのか尋ねようとして、その理由を知りたいのは誰より旅に出て弟の世話を出来なかった龍斗だろうだと思い至って留めた。
「それで、またお前が当主に?」
「ああ」
 その話は今はいいのだというように龍斗はそっけなく流した。
「今すぐに併せようとは思わない。お互い今はそれどころじゃないしな。併伝については賛成なのか?」
「賛成も何も、今の今まで俺は風祭の人間じゃなかったんだぜ。俺のあずかり知らぬところで何かやってたって、文句のひとつもねェよ」
 実際、そんなことをされたら俺は間違いなく怒るだろうなと思ったがそれは黙っていた。
「そんなわけにはいかないだろう」
 そんな俺の不真面目さに怒ったように龍斗が言った。
「冗談だって」 
 俺は歯を見せて笑った。
「当主、かあ……」
 幕府に書類をだしたり、なんだか面倒な事があるんだろうか?
 俺は世捨て人同然だったから、そういう事に関してまったく知識がない。
 正面に座る、龍斗を見た。
 龍斗と俺は同じ位置に立った。
 まだ実感が湧かないし何をしたら良いのか形も見えなかったけど、こいつとなら悪いようにはならないと思った。
 棚に置かれた南天の実が赤く、こぼれていた。

 


 
 >>(10)最終章へ続く

『地龍の溝渠、天龍の涙』(8)


 (8)

 龍斗に引きずられるようにして屋敷に戻った後、俺は部屋に閉じこもった。
 何も口にしないで、厠にも行かないで、布団の中で泣き続けた。
 
 父さん――
 父さん――
 
 父さん――
 
 
 俺は父さんの最後の望みすら叶える事ができなかった。
 いままで逃げ続けて、ついに便りの一通もだすことができなかった。
 こんな不孝息子をどんなに憎んで死んでいっただろう。
 先祖からの技さえ途絶えさせて……。
 俺には風祭という名すらなくなった。
 龍斗をあれだけ責めたけど、自分でよく分かってた。
 逃げたのは俺なんだ。
 
 
「嫌だ! そんなことできない――ッ」
「やれ、やるんだ澳継」
「嫌だッ! 絶対にやらないからなッ」

 父さんは、刀の鋭い刃先を俺に向けた。
「切らないのなら、お前を切る」
「どうしてだよ!」
「それを話す必要はない。さあ、切れ――」
「いやだあああああッ!!」
 震える両手に刀を無理やり握らせて、父さんは首をうなだれた。
 膝が笑って、俺は腰を抜かした。
 刃先が魚の尻尾みたいに左右に揺れた。
 そのまま床に刀を落としてしまう。
「しっかりしろ! ――お前は次代の風祭を継ぐものだ。これくらい出来ないで、一体どうやって本家を超えるつもりだ」
「そんなの――、そんなのどうでも――」
 言い終える前に俺は顎を殴られ、床に仰臥した。
 数秒意識を失っている間に、俺の両手は刀の柄にしばりつけられていた。
 どんなにもがいてもほどけない、風祭の執念だった。
 父さんは、俺の意志を無視した。
 自ら刀に切られようとして、その刃に身を躍らせた。
 間一髪で致命傷は避けられたが、軽症ではなかった。
 首からおびただしい量の血が噴き出して俺の胴着にふりかかった。
 生温かい血が、顔にもかかった。
 血の匂いしかしない。
 気が狂いそうになった。
 俺は胃の中のものを吐き出した。
 
 父さんがどういう状態だったのかは分からない。
 俺はそのままの格好で家を飛び出して、もう戻らなかった。 
 縛り付けられた両手は、口で紐を噛み切ってほどいた。
 真紅の紐は、噛み切ろうと口を近づけたときにはまだ、血の匂いが漂った。
 血まみれの着物は道外れの山の中に捨てた。
 父さんの血は、褌まで染み込んでいた。
 
 それからずっと俺は逃げ続けた。
  
 風の便りで父さんの無事と、風祭の状態を聞き及んではいたけど、俺は戻る気にはなれなかった。
 戻ればまた父さんの妄執に取り込まれると思った。 
 この時既に、俺は父さんを見捨てていた。
 父さんは死んだのだと思っていた。
 なのに龍斗から改めてその訃報を聞くと、あの日の血の匂いが鮮明に蘇ってくる。
 首を切られて涙をこぼす、父さんの顔を思い出してしまう。
 
 涙は泣いても泣いても枯れることがなかった。
 このときばかり俺は子供のように周りを気にすることもなく泣き叫んだ。
 


 >>(9)へ続く

『地龍の溝渠、天龍の涙』(7)


(7)


「たーさんなら、今は目を覚まして、天戒様に介抱を受けてるよ」
「いつなら会えるんだよ」
「……そうだねぇ。丁度薬師も連れていて処置も早かったから、明日には起き上がれるだろうね」
 
 豪雨で氾濫した川は、鉄砲水となって村を襲ったらしい。
 目を覚ましたとき俺は屋敷で寝ていた。
 あの日俺が助けた子供が村の大人たちを呼んで迅速に行動したために、村の被害は家屋や畑の作物だけで済んだという。
 龍斗はだれよりも早くその声を聞きつけ、けれども村には行かずに川へと向かったのだと桔梗の口から話されて、俺の胸は素直に熱くなった。
 あちこちに擦り傷はあったものの大人しく寝ていられるわけもなく、俺は部屋を抜け出した。
 
 龍斗の部屋は襖をへだてたすぐ隣だったが、いまは家屋の被害を受けた村人がそこにひしめいていて、龍斗の姿はそこになかった。
 外はうす暗い。
 庭の石灯籠に明りが灯っていた。
 
 龍斗は親方様の部屋で寝かされていた。
 枕元には差し支えない程度の明りで、行灯の火が揺れている。
 それ以外に明りはなく、音もない。
 
 俺はそれを障子の隙間からそっと見ていた。
 あの忠告を受けた後にあの騒ぎがあったのだ。
 とても親方様の前に顔を出せる勇気はなかった。
 龍斗は静かに寝かされていて、親方様はそれをじっと見守っていた。
 俺には親方様の背しか見えなかったけど、丸くかがんだまま動かないその背を見ただけで、親方様が何を考えているかよく分かった。
 俺はそっと部屋から離れた。

  
 三日、龍斗は床に伏したままだった。
「睡眠不足だった」かららしいが、その間に今度は親方様が倒れるかと思った。
 川付近に建っていた東村の家屋は浸水が激しくて、復旧に時間がかかる。
 その間の村人の避難場所の確保や、駄目になった畑の分の食糧の調達。
 龍泉組(りゅうせんぐみ)の動向の調査。
 やることは山積みだった。
 いままで勘定方や、俺に回される面倒な仕事などは龍斗が請け負っていただけに、龍斗が伏せていると一気につけが溜まる。
 龍斗が来る前は帳簿などつけていなかったけれど、あれば村のためになるからと親方様がそれをつけ始めたのだ。
 それはあくまで自然の成り行きで、仕事の多い親方様に代わって算術の得意な龍斗の役目になっていた。
  
 俺は薬師に払う銀子を持って村に下りた。
 裏長屋で支払いを済ませて戻ろうとしたとき、間の抜けた女の声がした。
 それは瓦版屋の女だった。
 女はなんだか一方的に話して、それから言った。
 「そういえば黒髪の方のお兄さん、以前仏花を買ったけど……。誰か亡くなったの?」 
 以前に女が親方様や九桐や桔梗との関係を聞いたことがあった。
 その時にふざけて龍斗が「兄だ」と言い、この女は未だにそれを信じているらしい。
 俺はそれを訂正しなかった。
 第一、人に話すには深すぎて、立ち話で終わる話じゃない。話す気はないけどな。
 それより龍斗が仏花を持っていたというのが気になった。
「それっていつ頃のことだか分かるか」
「ええと……そうね、一週間くらい前かしら。話しかけようとしたんだけど、なんだか込みいったような顔をしてたから止めたのよ」
「それ、どこに持っていった?」
「知らないわ。何よ、お兄さんなんじゃないの? どうして知らないのよ」
 俺は女を無視して村に戻った。
 ここ最近は、誰の野辺送りも見ていない。
 それに龍斗が誰に花を供えていようとどうでもいいことだった。
 俺はその話を村へ戻る前に忘れた。
 
 
 桔梗に薬を届けて、俺はその足で双羅山(そうらさん)へ登った。
 ここの修練場は俺のお気に入りだ。
 山の裏手にあるからか、壬生(みぶ)も們天丸(もんてんまる)もここにはあまり訪れない。
 俺もここに来るのは……龍斗の、梅飾りを隠した後以来だ。
 もっと長い間使ってない気がした。
 立てられた丸太も、吊り縄も、まるで違って見える。
 
 体に馴染ませるように、時間をかけて鍛錬に励んだ。
 それから一刻くらい過ぎて丁度昼時になったときに、今最も会いたくないやつが姿を現した。
 顔を見たくないからここにいたのに――龍斗はそんなことお見通しだという顔をして俺の隣に並んだ。
 縄を掴んで、握ったり開いたりしている。
 俺は何から言い出したらいいかわからなくて、黙っていた。
 縄から手を離した龍斗が先に口を開いた。
「もう昼だぞ。飯を持ってきたから食べよう」    
 背に負っていた風呂敷から竹筒を取り出して、割った。
 出てきたのは俵型の握り飯だった。底に笹まで敷いてある。
 俺は何も言わず、それをひとつ取って口にした。
 途端、手にそれを吐き出した。
「何だよこれ! 何も味しねェじゃねェかッ」 
 吐き出したものをよく見てみれば、具が入っている位置にあるのは……白い……
「なんで豆腐なんか握り飯に入れるんだよ!」
「え?好きじゃなかったか?」
「豆腐と飯の組み合わせなんて水っぽいモン、爺以外に誰が好きになるってんだッ」
 すると龍斗は竹筒を胸に抱えたまま、にっこり微笑んだ。
「前に俺の朝餉、食べただろう? その時豆腐がなくなってたから、好きなのかなあって思って」 
 ――こいつ、確信犯だ。
「てめェいい根性してんじゃねェか。そっちがその気ならこっちだってやってやるぜ!」
「負けたからって泣くなよ?」
「うるせェッ。――いくぜ!」
 手に米粒をつけたまま、俺は龍斗に飛びかかった。
 龍斗は悠々とそれをかわして、切り株に持っていた竹筒を置いた。
 そして振り向きざまに腰を捻って蹴りをくりだす。
 伏せてそれを避けた俺は、素早く龍斗の軸足をはらう。 
 体勢を崩して背後に倒れこむ龍斗にのしかかろうとして、あごを突き上げられた。
 のけぞったところに一撃を食らって、俺は森へ飛ばされた。
 運悪く、転がった先が斜面になっていた。
 短く悲鳴をあげて、俺は岩のように斜面を転がった。
「秘龍、玄武ッ!」 
 頭上から龍斗の声がした。
 同時に俺の体が回転を止めた。
 恐ろしいことに、俺は干された衣みたいにぷらぷらと宙に浮いている。
 暴れようにも袖が突っ張って、身動きがとれない。
 そのうちに龍斗がすべり降りてきて、俺を抱え下ろした。
 振り返ってどういうことになっていたのか見てみると……それは崖に生えた氷柱だった。
 奇妙に坂に聳え立つそれに俺の衣服が引っかかり、回転が止まったのだ。
 氷柱の針に刺さらないで無事でいたことが、天の采配としか思えない。
 茫然としている俺に、龍斗はぬけぬけと言った。
「良かった……。本当にお前は、目を離すところころと――」
「人を賽(さい)ころみたいに言うんじゃねェッ」
 生えた氷柱を思いっきり蹴飛ばした。
 が、足場が悪いうえに、龍斗の作り出した氷柱の中には芯が通っていて恐ろしく堅く、俺は再び転がりそうになる。
 龍斗が笑いながら「ほら、また」と言った。
 崖下に落ちそうになりひやっとした瞬間に、俺はふと思い出した。
 なんでここにいたのか。
 龍斗に言わなくてはいけなことがあったと。
 でもきっかけが掴めない。
 丸太が並んでいる修練場に戻りながら、俺はきっかけを探していた。 
 龍斗は俺の後に続いて登ってきた。
 戻ってきてしまっても、俺は何も言えず、口ごもっていた。
 さっき龍斗が持っていた竹筒が目に入ったので、手持ち無沙汰を持て余して残ったそれを口にほおリ込んだ。
 こっちはまともな味がする。
 握り飯をふたつとも食べてしまって、いよいよ俺は追い込まれた。
 龍斗は用事は済んだとばかりにふろしきに竹筒をしまっている。
 来たときのようにそれを背負って、「暗くなる前に戻れよ」と言って、背をむける。
 どうにれもなれ、と俺はその背中にぶつけた。
「悪かったよッ」 
 自分で顔が赤くなるのが分かった。
 こんなの、軽く言っちまえば良かったんだ……。
 唐突すぎだ、これじゃ――
 拳を握って、長く続く間を耐えた。
 龍斗の反応がない。
 足元の枯葉が風で動いた。
 遠くで、七つを告げる鐘が微かに聞こえた。
 龍斗の足が枯葉を踏みしめる音に、俺の全身が反応した。
 龍斗は一歩、一歩、こちらに近づいてきた。
 そして俺の前まで来て、止まった。
 何をされるのかと慄いていると、頭に何かが置かれた。
 驚いて、顔をあげ確かめると、それは龍斗の手だった。
 髪をかき混ぜるように、俺の頭を撫でている。
「俺は子供じゃねェッ」 
 かっとしてその手を叩き落とした。
 龍斗は憮然として言った。
「じゃあ聞くけど、何が『悪かった』んだ?」
「何がって、今までのことだよ。……それから、あの、首飾りのこと……」
「梅飾りのことだな」 
 はっきりと龍斗は言った。
 その声に何か含みがあるようで、俺は眉を寄せて龍斗を見上げた。
「あれは俺が父上にもらったものだ。家名を修得した証になるものだから、失くすことのないようにと渡されたのだ。澳継もこの意味を知っていたんだな」 
 俺はうつむいた。
 龍斗は続ける。
「澳継がこの村にいるのを見て驚いたが、同時にほっとした。俺が隠居したのと同じ頃、澳継も家を出たと聞いて心配していたから」
 隠居、と聞いて俺は龍斗を見上げた。
 朗らかなその顔からは、感情を読みとれない。
「隠居って、どういうことだ。 緋勇家は、お前が長男で家督を継ぐことになっていただろう。なのになんでそのお前がここにいるんだよ?」
「俺は子供のいない緋勇の家に出された里子だったからな」
 初めて耳にしたことだった。
「まさか俺を家に入れた途端、子宝に恵まれるとは思ってもいなかっただろう。父上も母上も、このことには頭を痛めたようだ」
「でも、俺と会ったときはお前が家督を継ぐって……。あの時にはもう弟がふたりもいただろう、それなのになんで」
「よく覚えてるな」
 まくしたてる俺に、苦笑いをこぼして龍斗は言った。
「いろいろ考えることがあったんだよ。……それに俺にはすることがあった。俺は俺の一存で家督を弟に譲った。同情するなら弟だぞ」
「だれが同情なんてするかよ」
 俺は息巻いた。
「なんでそんな簡単に捨てちまうんだよッ。俺が欲しかったモンを、なんでそんな簡単に――!」
 過去、胸についていた梅の模様が、今はない。
「何があったんだよ! なんで逃げたりなんか――」
 腕を掴んだ。
 冷たい風が袖の下に流れて、はっとした。
 龍斗の表情が凍っていた。
 腋の下に冷たい汗が流れた。
 龍斗は何も言わないで俺を見ている。
 さっきと違うのは、いまの龍斗からは温かさが全く感じられないこと。
 ひんやりと冷たい目で、俺を見てる。
 俺の向うにある何かを見つめるように、じっと見つめていた。
 悲鳴をあげそうになって俺は龍斗から手を引いた。
 その手を風よりすばやく龍斗が掴んで、耳元に口を寄せて何事かささやいた。
 
 あの日、胴着を汚した血。
 滴って俺の手からこぼれた。

「―――やめろォッ!!」
 ついに俺は悲鳴をあげた。
 真っ白になった手で耳を覆う。
 地面にしゃがみこんで、俺は獣のように叫び散らした。



 『―――お前の父上が、先日亡くなられた――』



 その言葉を消すように、いつまでも叫び続けた。        







 >>(8)へ続く

右サイドメニュー

検索フォーム

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード